2006.8.29 名張、伊賀上野(三重県)
今月の始め、弟の部活の大会があったのですが、
その開催地がなんと名張(まるで狙ったかのように…)
その時「私も連れてけ!」と駄々をこねたところOKを貰いました。
が、開催されるのは月曜。地域を問わずあらゆる公共施設が休みという魔の日。
当然目当ての藤堂家旧宅も休みなわけで、いい年して一人拗ねていた私に
母の口からから「別の日に連れてって上げるよ」との言葉が…!
…というわけで一ヶ月すごい勢いで下調べをして行って来ました、三重。(前振りが長い)
藤堂家旧宅
ここを治めたのは高吉を初代とする名張藤堂家。
高吉は元々分家的立場として2万石を与えられ今治を治めていましたが、
高虎の死後高次によってこの地に移され、家臣として扱われる事になります。
この移封に当たっては、反対する家臣達を押さえとりあえず大人しく従ったもののやはり納得がいかなかったのか、
親しかった柳生宗矩を通じ幕府に請願書を出そうとする動きもあったようです。(結局出さなかったんですが)


まずは隣の史料編纂室の所に車を止めてもらい、父と二人で見学する事に。
門とかの写真をたくさん撮りたかったけど父の手前控え目に…
中に入ると係員さんが笑顔で迎えてくれ、色々教えて下さいました。
外から見ても結構広いなぁという印象を受けたんですが、
それでも昔の五分の一ほどの面積しかないそうです。

名張家の家系図。高吉と長煕(享保騒動時の当主)くらいしかわからないです。以前読んだ本によると
二代目から「高」ではなく「長」の字が使われているのは丹羽家の血筋を考慮してとの事。
中の展示はこれがまた豪華でして、
高吉公一代記や秀吉から丹羽長秀への書状などがありました。
赤絨毯がちょっとミスマッチ(笑)

そんな中特に目を引いたのがこの甲冑。
説明書きを読んで知ったんですが、夏の陣で藤堂采女が着たものだとか。おぉ…!
私采女さんというとどうしても伊賀出身という事で武将というよりやっぱり忍としてのイメージが強かったので
こんな派手な具足を着ていたと知ってちょっと吃驚しました。
デザインがかっこいいなぁ…!
この後屋敷の中をうろうろしてたら、蒸し風呂を発見してすごい興奮しました。
実物を見たのは初めて。どういう仕組みになってるんだろう、アレ。
一通り見終わって、入って来てからずっと目を付けていたものを確かめに受付へ。
受付の横にあったのは(私の中で)伝説の本になっている「藤堂高吉の生涯」。
絶版な上古本屋でどれだけ探しても見つからないのでちょっとあきらめかかっていた所、
思わぬ場所で出会えました…!
もしかしたら買えるかも…!という期待を抱きつつ係員の方に
「この本って販売してますか?」と尋ねた所、「すみません。これ一冊しかないんですよ」との返事が。
しょ、ショック…!すぐ目の前にあるのに手に入らないのか!生殺しだ…!
やっぱりこれは高虎が大河にでもなって再版されるのを待つしかないのか…と気の長い決心をしかかった時、
係員さんから「ここで読むなら構いませんよ。よかったら出しましょうか?」との有り難いお申し出が…!
当然すごい勢いで食いつく私(笑)本を受け取る手が軽く震えてました。

私達以外に誰もお客さんがおらず貸し切り状態なのをいい事に広間に陣取ってうきうきと
読み始めました。横に居た父が生暖かい笑みを浮かべていましたがスルーです。
(↑広間から見える庭が広くてきれいでした!)
内容はもう目次からしてすごかったです。タイトル通り出生から名張移封、
そして亡くなるまでの詳細な項目が目白押し。や、やっぱこの本欲しいよ…!!
ページをめくりながら一人「欲しいなー。」とひたすらぐだぐだ言ってました。怖いです、この人。
そんな私の姿を見兼ねたのか係員さんが「これでよかったらどうぞ」と
なにやらプリントを持って来てくださいました。なんだろうと思って見てみると、
高吉移封前までの名張の歴史、高吉の年表、名張藤堂邸の発掘調査の結果がまとめられたものでした。
係員さあぁぁん!!(泣)
もう何から何までありがとうございます…!大切に読みます!!高吉の年表とか嬉し過ぎる。
ここで外に居る母をあまり待たせても悪いので、係員さんに何度もお礼を言い藤堂邸を後に。
ところが駐車場に母の車が無くどうしたんだろう、と思っていると終わったら連絡して」とのメールが。
仕方が無いのでそのまま裏手にある寿栄神社に向かう事に。

寿栄神社は高吉が祭神として奉られています。「寿栄」の文字はは高吉の戒名から。
高吉の命日が祭日になっているそうです。

太鼓門。藤堂邸の門だったのを移築したもの。

本殿。甲冑と長船の刀が奉納されてるそう。
写真だとわからないんですが中に名張藤堂家の紋が付いた幕が。
(ここだけじゃなく邸内やその周辺の旗にもプリントされてました)
名張に来て初めて、名張家の紋が桔梗だという事を知りました。
養子だから普通に藤堂蔦を使っているのだとばかり。
もしかして丹羽家の家紋だったのかな?と家に帰ってから調べてみたんですが
どうも違うっぽい。どこから来たんだろう、桔梗紋…。
ちなみにこの桔梗は名張市の花にもなっているそうです。

境内の隅のほうに高吉没後230年を記念して植えられた記念樹もありました。
次は名張藤堂家の菩提寺である徳蓮院へ向かいます。
「徳蓮」もやっぱり高吉の戒名からです。
此処から名張川の方へ歩いて数分ほどの距離。
お父さん、「お墓行きたい」とか言い出す娘でごめん…。

徳蓮院入り口。ちゃんと高吉の菩提寺の看板が建ってたのが
ちょっと嬉しかったですvvv
名張藤堂家の墓所への入り口
歴代当主のお墓は他のとは別に柵で囲まれてました。

で、二人で墓地の中へ。
今回は一つ一つにちゃんと看板があったので一安心(笑)
高吉のは入って左奥です。他のお墓に比べてちょっとだけ小さいです。
お墓参りを済ませ、ここで母と合流。次はいよいよ伊賀上野ですよ…!
名張だけで長くなってしまった…
まだ続きます
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