いよいよ今日のメイン、伊賀上野です。
伊賀上野城が見えた辺りからだんだん緊張して胃が痛くなってきました(←重症)うわー、ドキドキする!
そわそわしているうちに車は中心街に到着。
上野城からスタートする予定でしたが、旧崇広堂が近かったので降ろしてもらうことに。

崇廣堂は10代目の藩主・藤堂高兌の時に大和・山城地方に住む藩士の子弟を教育するために、
藩校・有造館の分校として作られました。藩校の遺構として全国的に稀な国の史跡らしいです。
写真は赤門と呼ばれている門。

まず資料室で展示を見た後、家屋に。
広いですよー。

上杉鷹山公が書いた扁額。
なんで藤堂藩なのに上杉?と思ってたんですが高兌公が依頼して書いてもらったそうです。
仲が良かったんだろうか…
当時のまま残っている部分も多いみたいです。先客が誰もおらず今日二度目の貸し切り状態でした。
せっかくなのでさっき資料室で見た授業風景の絵を思い出し、一人で藩士の子弟ごっことかやったり(笑)
本堂はかなり広く、風通しが良くって気持ち良かったです。
で、向かいの本屋で待っていた両親と一緒に城へ。
途中之尤の屋敷跡の前通るなーと考えてたとこで信号の為にちょっと停車。
その時母が、「あそこにもなんかあるよ」と。
之尤かな?と思ったんですが次の瞬間「藤堂…新七、郎…?」
「………ひぃ!!!」
ここに来てついに奇声を発しました。全く不意打ちだった…。
新七郎の屋敷後にも碑が建っているなんて知らなかった。
本当に西島さん家とお隣り同士でちょっとときめきました(笑)
窓ガラスに張り付いたまま、碑を見送り、駐車場へ。
車を降り天守閣へ。数分ほど歩きもうすぐ天守閣!と同時に、そっちの方角から大音量でアナウンスが聴こえてきて
もう両親の前でどういうリアクションを取ったらいいんだろうと変に困ってました。
平常心でいられない。

近くで見るとやっぱり大きいというかすごく綺麗なお城でした。
天守閣は台風で倒壊し、再建されなかったので本当だったらないはずなんですが、
昭和10年に模擬復興したそうです。
逸る心を抑え、平静を装いつつ(笑)中に。
なんか入ってすぐ大きい高虎の木造が出迎えてくれたんですが、
直視するのが恥ずかしく早足で通り過ぎました。
私伊賀上野に入ってからすごい挙動不審な気がする…(今更)

展示物を見つつ歩いて行くと、ついに目の前にあの兜が…!
うわー間近で見ると予想以上に大きいというか、インパクトがありました。
横のアレちょっと触ったらすぐ折れそう…
この兜、以前他のサイト様のレポを読んでたとき、夏の陣でこの兜を譲り受けた
家臣が討ち死にしたーというのを読みまして、ずっと誰だろう…と思ってたんですが
良重でした。
(藤堂良重:高虎の従兄弟・良政の息子。良政が関ヶ原で討死、
兄も病死してしまったため家督を継ぐ。玄蕃家)
うまく身動きがとれなかったんだと思います。

で、兜のすぐ横に展示してあった瓦。
之尤の家のものだって!ついてる家紋らしき模様ってもしかしたら之尤のなんだろうか…?
今まで之尤の家紋が載っている資料を見たことが無いのでなんとも…
瓦を嬉々として撮る私を父が理解できないものを見るような目で見ていたような気がします。
(母は興味が無いらしくさっさと先に行っちゃってるし)
この後まだまだたくさんの展示があったんですが、
夢中になりすぎたため結局写真を撮ったのはこの二枚だけでした。
天守閣を出る際、欲しかった遺訓二百カ条を購入。
その時係のおじさんに「この本一冊ください」言ったら、
「この本読んでしっかり勉強してくださいね〜。いいこといっぱい書いてありますから」
とすごいいい笑顔で言われまして、思わず私も「はいっ!」と笑顔全開で返しました(笑)
互いにがっちり握手できそうな空気でした。いっそしてしまえばよかったよ!
その後、我慢できずに帰りの車の中で読みました。
うん、すごいよかったです……

有名な上野城石垣。柵とかなくて本当ギリギリまで近づけるんですが、
実際上に立ってみるとすごく高くて怖かったです。
顔は嬉しくて笑ってるのに膝はがくがく震えているっていうね。
でも「怖い怖い!」とか言いながら覗きこんで写真とか撮っちゃったよ…
どれだけ嬉しかったんだ。
石垣を見た後、両親と図書館で待ち合わせをしてここから一人で周ることに。
この後のコースを考えたら寧ろ好都合でした…(見事に寺とお墓ばかりなんで)

さっそくさっき車で横を通り過ぎた西島家と新七郎家の跡へ。
この場所交通量が多い通りに面してまして(市役所のすぐ横です)
写真を撮るのが恥ずかしかったです。視線が痛い…!
頑張って撮ったのでせっかくなんで並べてみました(笑)
之尤が仕えた時期とその時点からの良勝と之尤の経歴を考えれば決して”之尤”と”良勝”が
隣同士というわけではないということはわかってるんだけど、
こう、名前が並んでいるのを見るだけでときめきます。えへへ!
家が隣同士と知ってから二人の関係の妄想に拍車がかかったのは言うまでもありません(痛い!)

正崇寺
近い順に周っていきます。まずは西島家のお墓がある正崇寺。
さりげなく自分の家と同じ宗派でちょっと嬉しかった…。
左の写真の右の方に映っている石に西島八兵衛墓地と書いてありました。

中に入ったはいいものの、お墓がどこにあるかわからなくてしばらくうろうろ。
西島家のお墓は右の隅の方にありました。
写真が之尤のお墓。
見えにくいですが、後ろの方にちらっと見えている苔みたいなものは之尤の偉業を顕彰しようと
地元の商店の方が自費(!)で作っちゃったというミニ庭園です。
お墓を囲むようにぐるっとあって、之尤が改修した川や池を模してあるそうです。
ミニというだけあって決して大きいものではないんですがこういうのを作ってしまうのがすごいなぁ。
せっかくなんで撮って載せたかったんですが、お墓が多くてうまく入らなかった。

次は山渓禅寺。新七郎家の菩提寺ー…って
初耳なんですけど。
嘘おぉ!すみません、私がここに来たのってこのお寺の屋号を高虎が
名付けたってだけの理由(…)でした。
下調べしたんだけどなぁ…。でもまぁ理由はなんであれ来たおかげで
新七郎家の菩提寺がわかったんでよしとします。行き当たりばったり…
そういやさらにこの後行った寺町で玄蕃家の菩提寺も発見したんですが、
他の重臣の菩提寺もどこかにあるんだろうか…?
仁右衛門家とか采女家辺りとかありそうな気がするんですが…
特に采女家は伊賀上野の城代も勤めてるし。
また機会見て探しておこうと思います。

内心でやってくれるぜ良勝…(←間違い)と思いながら歩いているうちに寺町へ到着。
有事の際に法城として使用するためにこの一角に寺院を集めたそうです。
南北600mあります。

上行寺
伊賀上野における藤堂藩歴代藩主の菩提寺。
高虎が最初粉河に創建したんですがその後伊予を経て
ここに移されることになりました。
ちなみに日蓮宗です、ここ。

何故か塀がない。建物は新しめな感じがしました。
ちなみにこのお寺、高虎のお父さんの虎高公の肖像画があったりします。
私は写真でしか見たことないんですが、結構美男子
というか細面で優しそうな雰囲気の方です。
目の辺りは似てる気もするけど、体格が全然違う…
(どうも高虎の体格は母親譲りらしいです)

入って右奥の一角が墓地になっています。
見上げるばかりのお墓が並んでるので結構迫力が…
写真が高虎のお墓で、隣には虎高さんと高重のお墓もありました。
この後待ち合わせの図書館へ行き、郷土資料を読み漁ってきました。
もう、あの棚は宝の山でしたよ…!
食料と寝袋持ってここに一週間くらい立て篭もりたいと本気で思いました。
私が着いた時点ですでに両親が待っていたので数冊しか手に取れなかったんですが、
また次の機会の楽しみに取っておこうと思います(また行く気か…!)
そして母が帰るよーと呼びに来たので今回の旅は終了。
もう地元っていうだけでこれだけの史跡と資料が揃ってるんだから、
羨ましいとか通り越して嫉妬です、本当(笑)
伊賀上野も名張も素敵な土地でした!!
1日藤堂家まみれで幸せな旅だったなぁー。
(次は3年越しの片思い、愛媛に遠征したい…とここで言ってみる)
おまけ

やっと家に帰って、今日撮った写真をPCに落としていたところ、
母がなにやら笑顔でさっき刈谷インターで買っていたお土産を
持ってきました。「裏を見てみろと」の事だったので言われるままに
裏を見てみると、なんでも高虎ゆかりの餅だとか。
若い頃の高虎が食べて、その後参勤交代の度に立ち寄ったと書いてあるのですが、
例の餅エピソードが元ネタだったりするんだろうか……